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picture たまに読書

HN harborが撮った写真や絵をアップしていきたいと思います。たまに読書とか、たわいもない話から、真面目な話など。お笑いなんかも・・・

 先週の金曜日から風邪をひいていました。風邪なんて、ここ十三年だってひいたことがありませんでしたので
調子の悪さ、具合の悪さはなんなのかわかりませんでした。まーそのうちに治ると思います。でもなめてかかると
痛い目にあうので、慎重に慎重を期し、頑張りたいと思います。

 では近所の理髪店から

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 そして足を伸ばし、少し距離のある理髪店へ

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 そして喪点だった通りにある理髪店


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ね!理髪店さんには時計がつきものでしょ。まだ三件でその答えを導くのは恐縮なので、今後も写メで写しまくっていきたいと思う。
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  1. 2013/01/31(木) 21:02:26|
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『ドリアン・グレイの肖像』オスカー・ワイルド著 

 ご存知、オスカー・ワイルドの不朽の名作です。冒頭の序文にクラクラしてしまうのは私だけでしょうか?

 序文(抜粋)
 
 芸術家とは、美なるものの創造者である。
 (中略)批評家とは、美なるものから受けた印象を、別個の様式もしくはあらたな素材に移し変える者をいう。
 批評の最高にして最低の形態は自叙伝形式に他ならぬ。
 (中略)道徳的な書物とか非道徳な書物といったものは存在しない。書物は巧みに書かれているか、巧みに書かれていないか、そのどちらかである。ただそれだけでしかない。
 (略)

 ここでウッオーと唸ってしまいました。

 その後も読み進めていくと、画家のモデルを務める純真無垢な美少年、ドリアン・グレイに、たまたまアトリエにきたヘンリー卿が逆説で言いくるめる。その台詞に私は学生時代に目がくらくらしてしまいました。
 逆説なのですが・・・でも、逆説であるがゆえに感動したのを覚えています。
 以下、ヘンリー卿の台詞

 この世には人の噂にのぼるよりもひどいことがたった一つある。噂にされないことだ。

 誘惑を除きさる方法はただひとつ、誘惑に負けてしまうことだけだ。
 
 ここでは省略しますが、ヘンリー卿のドリアン・グレイへの美の教育に感化させる台詞もすごい。ここで全文ご紹介しますと、読む楽しさを奪いかねませんので割愛させて頂きます。
 映画化もされています。『幻想のドリアン・グレイ』、『ドリアン・グレイ』等々
 両作とも観ました。幻想のドリアン・グレイは主人公が女性に設定されていましたが・・・

 居間でたまたま、テレビを見ていましたら、ある方が、女性は人生の中で美と言うものに一度は直面すると(美の衰えだったかな)発言されていました。
 私も学生時代そんなことを考えていました。
 私はドリアン・グレイ シンドロームと勝手に名付け、醜形恐怖ノイローゼなどの書籍を読んで勝手に研究していました。飲みの席でその話をクラスの女の子に言うと、いくら容色の衰えって言ったって結婚して、子を産んで、子育てして、学生時代に美というものに価値をおいた女の子だって価値はどんどん変換していくんじゃない?と言われました。でも、今、醜形恐怖でノイローゼになっている女性は多いのではないかと私は邪推しているのですが・・・
 話しがズレマシタ。

 オスカー・ワイルドは同性愛の罪で二年間懲役刑を受けます。
 英国では1967年前まで同性愛は犯罪だったのです。1861年までは同性愛の有罪宣告者には死刑が科されてもいたのです。
 日本では1873(明治6)年に発令された「改定律令」にて男性同士の肛門性交が違法とされたそうです。その後1880年(明治13年)に発令された刑法ではこのような規定がなくなったそうです。もしかしたら日本ほど同性愛に自由な国はなにのかもしれません。
 ワイルドは、貴族の放蕩息子、アルフレッド・ダグラスへの同性愛の罪で懲役刑を受けます。歴史に、たら、れば は無いといわれていますが、アルフレッド・ダグラスにさへ出会わなかったら『ドリアン・グレイの肖像』などの大傑作を何十冊も書かれていただろうなーと私は思います。
 『ドリアン・グレイの肖像』はきわめてSFチックで、ラストもSFチックなのですが、とにかく思い白い、エンターティメントだと思います。ちりばめられた名言集も勉強になります。ペイパー・バックも二冊持っているので、英語の勉強は、『ドリアン・グレイの肖像』の和訳からはじめようかなーとも思います。
  1. 2013/01/25(金) 20:54:59|
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『仮面の告白』三島由紀夫著

『仮面の告白』 三島由紀夫著

 永いあいだ、私は自分が生まれたときの光景を見たことがあると言い張っていた。
 
 三島由紀夫著 『仮面の告白』の書き出しである。超有名な書き出しである。

 私がかつて読んだ本(小説家になるにはどうしたらよいかを書いた本)の著者がこの部分に触れていた。著者・題名は書かない。

 これもあまりに有名な一行。自分が生まれてきたときの光景を見たことがあるという大ボラから始まるわけですが、(中略)
 『仮面の告白』の冒頭は、いきなり意外な事実を語って、読者の興味を一気に掴んでしまう典型ですね。


自分が生まれた時の光景を見たことがあると言い張って(略)この本の著者は、小説家になるには、どのような書き方をしたら良いかという視点で講義をしているのであって,,この著者の『仮面の告白』を批評しようとしてら別角度から論じるのだと思うが・・・あえて言葉通りに受けてみた。
 
私が思うに、仮面の下に素顔がかくされているのではなくて、(一般社会では誰もが仮面をつけている)大ボラを書き出しに持ってこなければ、嘘つきの三島氏の嘘の履歴が本当だと受け取ってもらえないのじゃないか?という不安が三島氏にはあったのではないかと思う。この小説には華美で絢爛たる文体の中に、極めて巧緻な権謀術数が張り巡らされているのである。
 パズル・ゲームによくあるのだが、「嘘つき村から来た。」という嘘をつく村人が厄介で頭を悩まされる。本当の嘘つきは「自分は正直村から来た。」と嘘をつくだろう。その一方で正直村の正直者は「正直村から来た。」と本当のことを言う。ここで裏と表の正直者が誕生する。
 
例の「演技」が私の組織の一部と化してしまった。それはもはや演技ではなかった。自分を正常な人間だと装う
ことの意識が、私の中にある本来の正常さをも侵蝕して、それが装われた正常さに他ならないと、一々言いきかせねばすまぬようになった 裏からいえば、私はおよそ贋物をしか信じない人間になりつつあった。そうすれば園子への心の接近を、頭から贋物だと考えたがるこの感情は、実はそれを真実の愛だと考えたい欲求が、仮面をかぶって現れたものかもしれなかった。
 
ここは複雑な胸のうちを開襟し、自分は嘘つき村からきた嘘つきだという告白をしているのだと思う。
 前後関係は違うが、『仮面の告白』の中で、『お前は人間でないのだ。お前は人交じりのならない身だ。お前は人間ならぬ何か奇妙に悲しい生き物だ』と吐露している。
 ここだけは主人公の慟哭として素直に受けて良いと私は思う。
 
生まれたときの光景を見た・・・から始まる嘘の溢れる自伝的小説は、ほころびが出そうで出ず、修正され、さらに増殖し、とうとう嘘は一つの作品として完遂してしまった。それどころか、私の首根っこを掴んでの首投げ。私は未だに参りました。と思うのである。三島文学がマジックだと知りながらである。マジックの種も大方予想がつくのに・・・である。三島文学というと『ナルシズム』、『ナルシスト』という言葉がついてまわる。でも、私は三島由紀夫氏は逆にナルシストではなかったのではないだろうか?それどころか、成人後も社会的大成功・文化人としての高い名誉はありながらも、ずっと何かの劣等感、疎外感、自己肯定感の低さ、醜形恐怖、外見上の悩み)をかかえこんでいたのではないだろうか?と私は思う。
 しかし、氏の『ナルシズム』論で、以下 (引用)
 
自分の写真を写真を見るのをきらい、鏡を見るのをきらい、鏡を見るのをきらいな男たちには、深いニューロテック(神経症)な劣等感を持った人間が多く、又その多くは、別の知的優越感で保障されている。そしてこれらの優越感へのどんな些細な批評にも、ヒステリックな反応を呈する場合が多い。鏡を嫌う男をバンカラで豪傑肌の男と勘違いすると、とんでもないまちがいに陥る。彼らは、ただ、鏡をおそれているのである。
 

肉体改造前の、三島氏の自己の心象を現しているのではないかと邪推してしまいたくなる。
 三島氏は肉体を鍛え上げ、マッチョな肉体を手に入れた。しかし、氏は満たされなかったのではないかと私は思う。三島氏はミケランジェロの彫刻のような男性的な美しさではなく、ヴィーナスのような麗人と称されるような女性的な美しさを本当は所有したかったのではないかとも私は思う。男性的な美しさと女性的な美しさは、美という同じ範疇に括れそうだが、決して同じ次元でモノを比べられないと私は思う。
 三島氏が、どこかのエッセイで書いていたのだが(なんというタイトルだったか忘れてしまった)、三島氏は
 「男性の女装は好意的だが、女性の男装は、受け付けられない。」というようなことを書かれていた記憶があるのだが・・・
 私は、そこでなぜ、女装は良くて、男装はだめなのか、深く考えず、また氏は何故、女性の男装に眉をひそめるのか分析されていなかったので、私はさらりとその箇所を読み流してしまった。
 
『僕は模造人間』島田雅彦著(新潮社)文庫 を読んで、島田氏は三島由紀夫氏の本質を見抜いていると私は思った。
『僕は模造人間』より

(以下引用)背後で人の声がした。振り返って見ると、見覚えのある小柄な女ーいやワンピースを着ている男だ。ーがいた。僕は思わず叫んだ。「三島由紀夫だ」彼は日本刀を去勢されたペニスのように握り締めており、女形の流し目で僕をとらえた。と島田氏は看破していられる。

 ジャンルは違うのだが、『第3の性』 大田典礼著  人間の科学社
(以下 引用)
 クラフト・エビングやネッケは、同性愛は先天的でどうにもならないものとし、シュテーケルは性的早熟説を強調し、異常に早く強い性欲は抑圧されて同性愛にむかうという。シュレンク・ノッチヒや、クレッペリンはもっぱら後天説をたて、フロイトをはじめ精神分析学派は有名な環境説である。
 
市井の私などが意見をしてはいけないのかもしれないが、私は『仮面の告白』の主人公の同性愛は、精神分析学者の意見があてはまると思う。失恋 ほぼ、皆が経験するのであろう。生きていて一度も失恋をしたことがない人を見つけるのはすごく困難だと思う。しかし、『仮面の告白』の主人公は、園子(仮面の告白の途中から登場するヒロイン)との結婚を、主人公が逡巡していると、園子は別の男性と結婚してしまうのである。そして婚姻後も主人公と園子は密会を続ける。いくら嫁ぐ前に交際をしていたという事実があっても(たとえより深く愛しあっていた恋人たちであっても)、別の男性と結婚をした女性が、結婚後も主人公との逢引には応じないと私は思う。著者の創作なのであろう。
 『三島由紀夫の世界』 村松剛著  新潮社
 この本で、三島由紀夫氏と生前に交友のあった村松氏が書いた本で、三島由紀夫(本名 平岡公威)氏の母堂である倭文重さんの愚痴が描かれている。(以下引用)
 
 K子嬢との縁談について母堂の倭文重さんはーあちらにお宅は、はじめ御熱心だったのですよ。戦争中で若い男がいなかったからでしょうね。(中略)
 それで公威も、その気になっておりましたの。ところが戦争がおわって若い人たちが帰ってきますと、公威なんかでは、もの足りなくなったのでございましょうね。あちらは、ささっと結婚しておしまいになったのですよ。

と、こぼれ話が掲載されている。K子嬢とは仮面の告白の主人公と交際していたヒロイン 園子・或いは園子とはK子嬢を指すのだろう。
 現実世界での女性との失恋。三島氏にとっては大きな挫折だったのであろう。異性愛・まさに掴み取る、その瞬間に自己の手からはなれてしまった。掴みとれないのなら、最初からなかったことのほうが幸いだったはずだ。そしてそれは、三島氏の大きなトラウマになったのではないだろうか?
 
 まずは自己愛からはじまり、同性愛に移行し、そして同性愛的な時期から成長し、健全な異性愛に至る。私が精神分析学派の説を援用したのもその責なのである。
 小説というバーチャルな世界で、自らが同性にしか興味をもてないというキャラが立てば、現実世界でおこった女性との失恋を取り消すことが出来る。あちらの世界(小説)では、失恋どころか、主人公が女性を振ったことになっており、おまけに振った女性(園子)は、自分に未練がありそうに・・・と都合よく書ける。
 三島由紀夫氏が創り上げた『仮面の告白』とは、漫画家 浦沢直樹著の『20世紀少年』の、ともだちが創り上げた、ともだちランドのバーチャル・アトラクションと同じで、過去と現在とを、或いは現在から過去とが互換性を持つ世界である。つまり『仮面の告白』という小説は、過去を現在から書き換えようとした小説なのである。つまり『仮面の告白』という小説は、三島氏の三島氏による三島氏のための小説なのである。
  1. 2013/01/19(土) 05:22:16|
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『富嶽百景』 太宰治著

『富嶽百景』太宰治著

 言わずと知れた太宰治先生の作品です。新潮社文庫文豪ナビ 太宰治で、田口ランディ先生は、私が読んだ太宰治の中でこう書かれています。

 私は「富嶽百景」という作品が好きで、これを読むと太宰治という人は、なんと文章が上手なんだろうとか、と唸ってしまう。(中略)「富岳百景」など、まさに言葉の絵画だ。

 富士山とそれに向かい合う日々、最初、主人公は、こんな山は、俗で駄目だ、俗で駄目だと言い放ちながら、主人公のそれぞれの心境の変化で、富士山に相対峙するうちに、富士山が変化して見えるてくる。富士山は変わらないのに、主人公の心境が変わっていくのです。
 さまざまな出来事から、富士に対する見方が変わっていく。そこを一つ一つみていくととても面白いと私は思います。どこにも隙が無く見事です。『富嶽百景』は新潮社文庫『走れメロス』に収録されているのですが、その収録作品『ダス・ゲマイネ』の書き出し。当時、私には一日一日が晩年であったとあります。先生はさぞ、苦しかっただろうなーと思います。それが『富岳百景』で、井伏鱒二先生の媒酌で令嬢と祝言をあげ、一市民の平穏な日常の日々に書かれた作品です。やがて『走れメロス』を書きますが・・・
 太宰治先生の作品群を前期・中期・後期にわけたら、この『富岳百景』は中期にあたる作品だそうです。何十回と読み直しましたが、どこをとっても隙のない。色あせることがありません。高校生の現代文の授業で初めて読みました。でも、バブルが始まりだし、日本中が活気立ち、何不自由なく暮らしていたときの高校生のころは苦悩とか、懊悩とかまったくわからなかったのです。それが後年にいたり・・・まー止めておきましょう。
 この富嶽百景の現国のテストこういう問題がありました。

 かえりに、娘さんは、バスの発着場所まで送って呉れた。歩きながら、「どうです。もう少し交際してみますか?」きざなことを言ったものである。「いいえ、もうたくさん」娘さんは、笑っていた。「なにか、質問ありませんか?」いよいよ、ばかである。「ございます」私は何を聞かれても、ありのまま答えようと思っていた。「富士山には、もう雪が降ったでしょうか」私は、その質問には拍子抜けがした。「降りました。いただきのほうに、-」と言いかけて、ふと前方を見ると、富士が見える。へんな気がした。「なんだ。甲府からでも、富士が見えるじゃないか。ばかにしていやがる」(中略)「だって、御坂峠にいらっしゃるのですし、富士のことでもお聞きしなければ、悪いと思って」

 おかしな娘さんだと思った。

ここで何故、主人公は、おかしな娘さんだと思ったか?という問いがありました。

模範解答は、甲府でも富士の頂は見えるし、それを御坂峠にいるからといって、わざわざしつもんするのはおかし
い、と多分なっていたと思っています。

 しかし、ませていた私は、過去に犯した罪や、全ての一切を質問されたとしても、全て、答えようと思っていたはずです。それを富士の話ではぐらかすのは、好意を持っている、このままお付き合いをして、結婚しても良いつもりでいることを暗にいっていたので、おかしな娘さんだと思ったと解答しました。先生は丸をくれました。
 
  1. 2013/01/18(金) 21:25:58|
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『山椒魚』 井伏鱒二著

山椒魚』井伏鱒二著

 私の手元に井伏鱒二先生の『山椒魚』があります。新潮社文庫 平成14年3月25五日 90刷とあります。
なぜ、そんなことに言及しますのは、晩年になって井伏氏が自選全集の中で『山椒魚』のラスト部分を削除してしまったからです。って、それは今回、『山椒魚』の事をブログに書こうと思い、知ったのですけど。私の手元の文庫本にはラストは削られていません。
 
 『山椒魚』とは、こういう作品です。あるとき誤まって岩窪に落ち、最初の頃は泳ぎまわろうとしてもなかなか出来ず、二年後には頭が成長し、とうとう岩窪から出れなくなってしまったのです。ある時、蛙が迷い込みますが山椒夫は意地悪をして、蛙を岩窪から出れなくしてしまうのです。そして奇妙な共生生活が続きますが、二年後、最終章で、蛙は「今でもべつにお前のことをおこってはいないんだ。で終わります。
 安易な友情に嫌悪感を井伏氏が抱いたか、他の理由があったのかもしれませんが、私はこれまで、どうして意地悪をされ、山椒魚とともに岩窪から出れなくされた蛙が、山椒魚をおこってはいなかったかが判りませんでした。
 住めば都ということもあるのか?自由に見える岩窪の外の世界も、それはそれで、様々な決まりごとや、掟があり、どこでもおなじなんだと蛙は悟ったからなのかなーと思っていました。敵に見えても、岩窪で生活する仮想敵である山椒緒がいるかぎり孤独に陥らなかったためかもしれません。『山椒魚』は最初『幽閉』と言う題でしたが改題し『山椒魚』になりました。
 山椒魚は諦観していたのかと思います。閉じ込められた世界も外のの自由に思える世界も一緒だと。それか、岩窪から一歩も出られない閉塞した場所は二匹にとって修行の場だったかもしれません。『山椒魚』なんともやりきれないお話でした。
  1. 2013/01/14(月) 04:09:10|
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新年のご挨拶

 皆様、新年 明けましておめでとうございます。昨年は大変お世話に鳴りました。どうか今年一年も
皆様にとって良い年になります事を心からお祈り申し上げます。

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 挨拶とアヒルの足は短かければ短いほど良いというらしいので、この辺で・・・
 今年一年、よろしくお願いいたします。
  1. 2013/01/06(日) 19:15:20|
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