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HN harborが撮った写真や絵をアップしていきたいと思います。たまに読書とか、たわいもない話から、真面目な話など。お笑いなんかも・・・

『仮面の告白』三島由紀夫著

『仮面の告白』 三島由紀夫著

 永いあいだ、私は自分が生まれたときの光景を見たことがあると言い張っていた。
 
 三島由紀夫著 『仮面の告白』の書き出しである。超有名な書き出しである。

 私がかつて読んだ本(小説家になるにはどうしたらよいかを書いた本)の著者がこの部分に触れていた。著者・題名は書かない。

 これもあまりに有名な一行。自分が生まれてきたときの光景を見たことがあるという大ボラから始まるわけですが、(中略)
 『仮面の告白』の冒頭は、いきなり意外な事実を語って、読者の興味を一気に掴んでしまう典型ですね。


自分が生まれた時の光景を見たことがあると言い張って(略)この本の著者は、小説家になるには、どのような書き方をしたら良いかという視点で講義をしているのであって,,この著者の『仮面の告白』を批評しようとしてら別角度から論じるのだと思うが・・・あえて言葉通りに受けてみた。
 
私が思うに、仮面の下に素顔がかくされているのではなくて、(一般社会では誰もが仮面をつけている)大ボラを書き出しに持ってこなければ、嘘つきの三島氏の嘘の履歴が本当だと受け取ってもらえないのじゃないか?という不安が三島氏にはあったのではないかと思う。この小説には華美で絢爛たる文体の中に、極めて巧緻な権謀術数が張り巡らされているのである。
 パズル・ゲームによくあるのだが、「嘘つき村から来た。」という嘘をつく村人が厄介で頭を悩まされる。本当の嘘つきは「自分は正直村から来た。」と嘘をつくだろう。その一方で正直村の正直者は「正直村から来た。」と本当のことを言う。ここで裏と表の正直者が誕生する。
 
例の「演技」が私の組織の一部と化してしまった。それはもはや演技ではなかった。自分を正常な人間だと装う
ことの意識が、私の中にある本来の正常さをも侵蝕して、それが装われた正常さに他ならないと、一々言いきかせねばすまぬようになった 裏からいえば、私はおよそ贋物をしか信じない人間になりつつあった。そうすれば園子への心の接近を、頭から贋物だと考えたがるこの感情は、実はそれを真実の愛だと考えたい欲求が、仮面をかぶって現れたものかもしれなかった。
 
ここは複雑な胸のうちを開襟し、自分は嘘つき村からきた嘘つきだという告白をしているのだと思う。
 前後関係は違うが、『仮面の告白』の中で、『お前は人間でないのだ。お前は人交じりのならない身だ。お前は人間ならぬ何か奇妙に悲しい生き物だ』と吐露している。
 ここだけは主人公の慟哭として素直に受けて良いと私は思う。
 
生まれたときの光景を見た・・・から始まる嘘の溢れる自伝的小説は、ほころびが出そうで出ず、修正され、さらに増殖し、とうとう嘘は一つの作品として完遂してしまった。それどころか、私の首根っこを掴んでの首投げ。私は未だに参りました。と思うのである。三島文学がマジックだと知りながらである。マジックの種も大方予想がつくのに・・・である。三島文学というと『ナルシズム』、『ナルシスト』という言葉がついてまわる。でも、私は三島由紀夫氏は逆にナルシストではなかったのではないだろうか?それどころか、成人後も社会的大成功・文化人としての高い名誉はありながらも、ずっと何かの劣等感、疎外感、自己肯定感の低さ、醜形恐怖、外見上の悩み)をかかえこんでいたのではないだろうか?と私は思う。
 しかし、氏の『ナルシズム』論で、以下 (引用)
 
自分の写真を写真を見るのをきらい、鏡を見るのをきらい、鏡を見るのをきらいな男たちには、深いニューロテック(神経症)な劣等感を持った人間が多く、又その多くは、別の知的優越感で保障されている。そしてこれらの優越感へのどんな些細な批評にも、ヒステリックな反応を呈する場合が多い。鏡を嫌う男をバンカラで豪傑肌の男と勘違いすると、とんでもないまちがいに陥る。彼らは、ただ、鏡をおそれているのである。
 

肉体改造前の、三島氏の自己の心象を現しているのではないかと邪推してしまいたくなる。
 三島氏は肉体を鍛え上げ、マッチョな肉体を手に入れた。しかし、氏は満たされなかったのではないかと私は思う。三島氏はミケランジェロの彫刻のような男性的な美しさではなく、ヴィーナスのような麗人と称されるような女性的な美しさを本当は所有したかったのではないかとも私は思う。男性的な美しさと女性的な美しさは、美という同じ範疇に括れそうだが、決して同じ次元でモノを比べられないと私は思う。
 三島氏が、どこかのエッセイで書いていたのだが(なんというタイトルだったか忘れてしまった)、三島氏は
 「男性の女装は好意的だが、女性の男装は、受け付けられない。」というようなことを書かれていた記憶があるのだが・・・
 私は、そこでなぜ、女装は良くて、男装はだめなのか、深く考えず、また氏は何故、女性の男装に眉をひそめるのか分析されていなかったので、私はさらりとその箇所を読み流してしまった。
 
『僕は模造人間』島田雅彦著(新潮社)文庫 を読んで、島田氏は三島由紀夫氏の本質を見抜いていると私は思った。
『僕は模造人間』より

(以下引用)背後で人の声がした。振り返って見ると、見覚えのある小柄な女ーいやワンピースを着ている男だ。ーがいた。僕は思わず叫んだ。「三島由紀夫だ」彼は日本刀を去勢されたペニスのように握り締めており、女形の流し目で僕をとらえた。と島田氏は看破していられる。

 ジャンルは違うのだが、『第3の性』 大田典礼著  人間の科学社
(以下 引用)
 クラフト・エビングやネッケは、同性愛は先天的でどうにもならないものとし、シュテーケルは性的早熟説を強調し、異常に早く強い性欲は抑圧されて同性愛にむかうという。シュレンク・ノッチヒや、クレッペリンはもっぱら後天説をたて、フロイトをはじめ精神分析学派は有名な環境説である。
 
市井の私などが意見をしてはいけないのかもしれないが、私は『仮面の告白』の主人公の同性愛は、精神分析学者の意見があてはまると思う。失恋 ほぼ、皆が経験するのであろう。生きていて一度も失恋をしたことがない人を見つけるのはすごく困難だと思う。しかし、『仮面の告白』の主人公は、園子(仮面の告白の途中から登場するヒロイン)との結婚を、主人公が逡巡していると、園子は別の男性と結婚してしまうのである。そして婚姻後も主人公と園子は密会を続ける。いくら嫁ぐ前に交際をしていたという事実があっても(たとえより深く愛しあっていた恋人たちであっても)、別の男性と結婚をした女性が、結婚後も主人公との逢引には応じないと私は思う。著者の創作なのであろう。
 『三島由紀夫の世界』 村松剛著  新潮社
 この本で、三島由紀夫氏と生前に交友のあった村松氏が書いた本で、三島由紀夫(本名 平岡公威)氏の母堂である倭文重さんの愚痴が描かれている。(以下引用)
 
 K子嬢との縁談について母堂の倭文重さんはーあちらにお宅は、はじめ御熱心だったのですよ。戦争中で若い男がいなかったからでしょうね。(中略)
 それで公威も、その気になっておりましたの。ところが戦争がおわって若い人たちが帰ってきますと、公威なんかでは、もの足りなくなったのでございましょうね。あちらは、ささっと結婚しておしまいになったのですよ。

と、こぼれ話が掲載されている。K子嬢とは仮面の告白の主人公と交際していたヒロイン 園子・或いは園子とはK子嬢を指すのだろう。
 現実世界での女性との失恋。三島氏にとっては大きな挫折だったのであろう。異性愛・まさに掴み取る、その瞬間に自己の手からはなれてしまった。掴みとれないのなら、最初からなかったことのほうが幸いだったはずだ。そしてそれは、三島氏の大きなトラウマになったのではないだろうか?
 
 まずは自己愛からはじまり、同性愛に移行し、そして同性愛的な時期から成長し、健全な異性愛に至る。私が精神分析学派の説を援用したのもその責なのである。
 小説というバーチャルな世界で、自らが同性にしか興味をもてないというキャラが立てば、現実世界でおこった女性との失恋を取り消すことが出来る。あちらの世界(小説)では、失恋どころか、主人公が女性を振ったことになっており、おまけに振った女性(園子)は、自分に未練がありそうに・・・と都合よく書ける。
 三島由紀夫氏が創り上げた『仮面の告白』とは、漫画家 浦沢直樹著の『20世紀少年』の、ともだちが創り上げた、ともだちランドのバーチャル・アトラクションと同じで、過去と現在とを、或いは現在から過去とが互換性を持つ世界である。つまり『仮面の告白』という小説は、過去を現在から書き換えようとした小説なのである。つまり『仮面の告白』という小説は、三島氏の三島氏による三島氏のための小説なのである。
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  1. 2013/01/19(土) 05:22:16|
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コメント

HARBOR33様

こんにちは、冴です

HARBORさんは小説を深く読まれるのですね
私など、脱帽です

個人的な意見ですが、三島先生の作品では『潮騒』が好きです
『歌島は人口千四百、周囲一里に充たない小島である…』
何度も読んだので今でも冒頭の部分は覚えています

山口百恵、三浦友和コンビの映画も見ました
でも原作よりは軽めだったかと記憶しています
  1. 2013/01/19(土) 10:46:35 |
  2. URL |
  3. 谷口冴 #-
  4. [ 編集 ]

コメントをお寄せくださりありがとうございます。

 谷口冴様

 谷口様。深読みなんて、そんなことはないです。ただ、追跡しだすと止まらない癖があって、要するに、はまりやすいのです。集中してしまう。でもだからと言って人望があるわけではなく・・・絡みづらい奴だろうなーとは思われているでしょう。
 『潮騒』ですか。三島先生の著作で、唯一、健全とされていますよね。ラストはちょっとなーと思いましたけど。冒頭を暗誦できるまで読み込んだのですね。私も映画を(ビデオですけど)学生の頃、観ました。文芸映画は観るようにしていました。
 軽いですか?それさへ記憶がありません。やはり映像の限界か?もう、筋は知っているからか?・・・私の観た文芸映画で原作を凌駕したのは三作しかありません。小説の映画化。シナリオライターって重圧が掛かるだろうなーと思いました。でも、そこに生きがいを感じているのかもしれませんが・・・色々な人がいらっしゃると生意気にも、そう思います。
  1. 2013/01/19(土) 17:33:05 |
  2. URL |
  3. HARBOR33 #-
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おはようございます。いつも見ていただいてありがとうございます。
コメントありがとうございます。
  1. 2013/01/23(水) 08:00:08 |
  2. URL |
  3. ひかりこころ #-
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コメント

 ひかりこころ様

 こんばんは、ひかりこころ様の、仏像の絵や、それにまつわる記事。いつも勉強になります。
 そして、いかに仏教の世界が深く、広いか・・・痛感させられてしまいます。私は四天王さへ全部言えないのですから・・・恥ずかしい限りです。浅学な私の言うことなのであてにはなりませんが、仏教って一つの哲学・科学だと思っています。勉強セネバ。また、よろしくお願いします。では
  1. 2013/01/23(水) 17:19:29 |
  2. URL |
  3. HARBOR33 #-
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 気付けば一月も今月最終月になってしまいました。kannaさんの展示会好評の内に泡って何よりでした。
 ポストカードは販売されたのでしょうか?売れ行きはどうだったでしょうか。ってkannaさんがレポートしてくれるとわかりやすいので気に入っています。
 インスタレーション全盛の時代が来ているのでしょうか。まー世の中が変わっても、そこは古美術も店も負けていないと思いますが・・・私は3月公募に賭けます。では・・・
  1. 2013/01/30(水) 00:18:45 |
  2. URL |
  3. HARBOR33 #-
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Re: タイトルなし

>  気付けば一月も今月最終月になってしまいました。kannaさんの展示会好評の内に終わって何よりでした。
>  ポストカードは販売されたのでしょうか?売れ行きはどうだったでしょうか。ってkannaさんがレポートしてくれるとわかりやすいので気に入っています。
>  インスタレーション全盛の時代が来ているのでしょうか。まー世の中が変わっても、そこは古美術も店も負けていないと思いますが・・・私は3月公募に賭けます。では・・・
  1. 2013/01/31(木) 20:23:09 |
  2. URL |
  3. HARBOR #-
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